半澤直樹最終回

エンタメアラカルトとしては当然毎回チェックしていたわけで…

お話としては割と平凡な内容だったな。
とにかく出演者の白熱した演技がすごく光っていました。
大和田常務はこれからしばらくモノマネの対象になっていくでしょうね(w

内容として見応えがあったのが同じ池井戸さんの原作でNHKでやっていた
「7つの会議」がかなりストーリーとして見応えがありました。

たまたま深夜の再放送で見ていたんですが演出は派手ではないものの、
毎回これからどうなるんだろー?とハラハラさせてもらって気づけばマストで視聴するように。
渋い硬派なドラマですがこちらもオススメですよ-

 

春菜はなちゃん

いきなりだけど、春菜はなちゃんがよい。
いわゆるAV女優、もう、3年くらいやっているのだけど、どこか垢抜けないところがいい。
ふつうこれくらいやってればちょっとくらい業界スレしててもいいんだけど、今もブログを見てても全然そんなことをかんじさせない稀有な存在だ。
いや、ファンでもなんでもないんだが、、
あと、このひとの爆乳はやっぱりすごい。Kカップって想像もつかないや。実際に目にしたらどういう心境になるんだろう。。。

春菜はなのブログ
春菜はなの出演動画一覧

楽しさ

前回、少々エンタメとはかけ離れた内容だったので、軌道修正。

娯楽のミソ(古い?)は、当たり前だが、楽しむことにある。

楽しくなければ娯楽ではない、と言い切っても良いだろう。

現在の日本において、巷には(古い?)娯楽が蔓延っている(誤用)。

これだけ勢力を増すということは、つまり、それだけニーズがあるということだ。

どうも、人は楽しむことが好きらしい。

これに対しては、素直に良い傾向だと思う。

そういう指向は、きっと、豊かさの実現とそう違わないベクトルにあると思えるからだ。

さて、なにが言いたいのかというと、楽しむことは素晴らしい、そして優しくなれる、ということだ(本当か?)。

こうした意味のない文章を徒然なるままに記していくのにも、そろそろ飽きてきたw

さて、では、楽しみを求めて、今日も頑張りましょう(ちょっとヒドいな……)!

 

豊かさ貧しさ

趣味が豊かさを生むことは書いた。

否、豊かだからこそ趣味が成立すると言っても良い。

本来、人間は怠惰を志してきた。

それは、コンピューターが普及し、ひと昔前に比べて遥かに仕事の効率化が進められた社会を見れば、一目瞭然である。

けれど、周囲を観察してみると、どうもできるだけ仕事をしよう、あるいは、仕事をしているように見せようと躍起になっている連中が多い。

そして、決まって「ああ、忙しい」と聞いてもいないのに自分で言い出す。

もう、あそこまでいけば不愉快を通り越して面白い、とすら感じる。

「ああ、またか」くらいのものである。

そして、そんな連中に限って毎晩のように呑みに繰り出しているし、時間にルーズな場合が多い。

決められた納期すら守れない。

つまり、「忙しい」と口に出すことで将来のミスに対する防御をしているつもりなのだ。

仮に、そういうポーズを取り続けることで仕事がスムーズに進んでいると信じているのなら、結構である。

客観的に見て、大半の人はそんな連中を無能と呼ぶ。

しかし、ついついそういうポーズを取ってしまう、そんな自分をすこしでも変えたい、と考えている人は、いますぐにでも変えるべきだ。

簡単なことだ。

つまり、自分の能力を正確に把握したうえでスケジュールを引き、そして、それを確実に守る。

ほとんどの仕事は、これだけ守っていれば波風は立たない。

それくらい、仕事が瑣末な存在であるということだ。

だから、まずは所詮仕事なんて、と考えることが大切だろう。

仕事なんかに過剰な幻想を抱いているから、本質を見失うのである。

人の価値は仕事が決める。

そうした幻想に縛られているうちは、けっしてほんとうの豊かさを手に入れることはできない。

そして、そんな思考しかできない連中を、大半の人は、貧しい、と呼ぶのだ。

 

 

心躍る瞬間はどこに?

ここ何回か、わりと専門的なことをつらつらと書いたけれど、今回はすこし目線を変えて。パチンコ・パチスロを遊戯するうえで、一番楽しい瞬間はいつだろう。大当たりを引いたとき? リールの上で7が3つ揃ったとき? その瞬間が楽しくないとはいわない。遊技中における、もっとも心が躍る瞬間には間違いないだろう。ただ、僕の場合、一番スリルを感じるのはホールへ入場する瞬間、あるいは、開店前に並んでいるなら、入店までの待ち時間に他ならない。パチンコ・パチスロに必要以上にハマってしまう人の場合、この時間の高揚感が忘れられないあまり、ついつい度を超して遊技してしまう、というケースが多いのではないか。それくらい、あの瞬間、あの時間は単純に楽しいのである。これはスポーツでもなんでもそうだと思う。つまり、実際にプレイし始めたら、どうしても結果がカタチとして現れる。そして、それはもちろん、幸福な結果ばかりではない。しかし、開店前においては、まだ結果がでていない。だから、どんなことでも想像できる。その自由度が楽しいのだ。なんだか精神論のようになってしまったけれど、間違いなくただの精神論であるw しかし、あくまでも真なのだ。

翻ってパチスロ

パチンコについてわりとしっかり書いたあとにあれだけれど、実はスロットの方が好きだったりする。

別に、勝つためにやるならどっちでも良いけど、勝敗度外視なら間違いなくスロットをする、くらいには差がある。

まあ、これは単に僕の性格に起因する問題だから、べつにパチンコとスロットの差異に言及するつもりもない。

さて、ではスロットの美点はどこだろう。

早速結論を示すなら、それは、操作性に他ならない。

液晶で流される演出にゲーム性の重心が偏ったパチンコとは、ここがまったく違う(あ、言っちゃった)。

しかし、スロットでもまた、近年になって操作性が奪われ始めていることも確かだ。

本来、液晶はなく、3つのリールだけで表現できていた独自の世界観が、液晶が登場し、さらに肥大したことによって、確実に失われつつある。

これは、まさにパチンコが歩んできた道だ。

もちろん、これが良いことなのか悪いことなのかは、わからない。

技術介入要素がすくなくなることによって、たしかに、ライトユーザーには優しいだろう。

現状のパチスロ業界は、しかし、そこで思考が停止しているのではないか。

学問とエンタメには王道しかない。

突然思いついたから書いてみた。

ニーズを把握することは大切だけれど、どうも腰が軽いように思える。

どっしり。

パチスロ業界に欠けているキーワードは、まさにこれだろう。

 

 

過剰な演出

パチンコの続き。前回、玉の流れこそがゲーム性の肝だ、過剰な演出はいらん、みたいなことを書いたけど、じゃあなぜ過剰な演出がゲーム性を殺すのかというと、一瞬の「熱さ」が感じられなくなるからに他ならない。エンタメである以上、この「一瞬の快楽」を上手くユーザーに伝えられないものは、はっきり言って存在価値がない。パチンコにおいて具体的には、たとえば保4時の無駄な演出。以前の台、すくなくとも演出のバランスが今よりはずっと良かった時代のもっとも熱い瞬間といえば、保4時になにか演出が起こったときだ。もう、それだけで一瞬、「おっ?」となれた。これは、よく回る台と回らない台の時間あたりの回転数をなるべく差がつかないようにするための工夫のようなもので、つまり、本来なら時間短縮のために演出がカットされやすい保4時で演出が起こる→そのゲームで大当たりを引いた可能性が極めて高くなる、という具合だ。だけれど、何度も言うが、今は演出が過剰になりすぎた。もう、保4だろうが保3だろうが、お構いなしに何でもこい状態。まあ、他にももっとあるけれど、言い出したらキリがないので、今日はこのへんで……。

パチンコのエンタメ性

昔はよくパチンコを打った。でも、もうかれこれ4年ほど打っていない。その理由というのが、僕がパチンコを好きな理由でもあるのだけれど、そもそもパチンコの最大の魅力は、あの鉄の玉が弾かれ、さまざまな反応を見せながらヘソ釘に向かっていく、という玉の動きそのものにあるのだ。つまり、僕のいう面白い台というのは、あくまで玉の動きをメインに考え、それをどう大当たりに結びつけるのか、ということを考えられた台のことだ。けれど、俗にいうマックス・スペックの台が増え、ギャンブル性が上がり、それにともなって、台に求められる要素が娯楽性から、賭博性に変わってしまった。液晶が肥大し、過剰な演出だけが増えてしまった。もうそこに、あの頃のアナログながら、どこか惹きつけられてしまう魅力はない。最近では、けれど、そういう魅力で一杯だった時代のような台が増えてきた、とも聞いた。シンプルなドットの動きで演出を表現している台もあるようだ。もしかすると、すこしは希望があるのかもしれない。しかし、やっぱりもう無理なんじゃないか、とも思う。先週の土曜日、懐かしい悪友と久しぶりに酒の席を囲み、パチンコの話題が出たので、すこし書いてみた。もうすこし、業界の動向を観察していきたいと思う。

役に立たないから趣味なのさ

趣味は役に立ってはいけない、

みたいな話を聞いたことがあるけれど、

全面的に同意したい。

で、その話は結局のところ、いかに無駄なことをやるかが

人間の価値だし、本領でもある的なことだったと記憶してるけれど、

それも同じく賛成。

本だったのかTVだったのか、あるいは飲み会の戯言だったのか、

ソースがなんだったのかは忘れたけれど、

わりと鮮明に頭に残ってたりする。

音楽だって絵だって、はたまた麻雀だって小説だって、

仮に明日からなくなっても問題はない。

生産性がないのだから、当然のことだ。

しかし、では、そうなったことで人類はなにも失うものが

ないのかといえば、そうではない。

そして、そこで失うものこそが、「豊かさ」なのだ。

趣味は豊かさを生む。

だから、仮に

「そんなことをしてなにになるの?」

と訝しそうに自分の趣味へ意見されたら、

こう答えよう。

「役に立たないと、いけないの?」

三色マスタ

麻雀熱再燃中です。と言っても、覚えたのは一年ほど前で、まだまだビギナです。実際に卓を囲んだ経験は10回にも満たず、もっぱらゲーセンでオンラインの麻雀ゲームに興じています。麻雀の良さは、やっぱり「手作り」にあると考えています。鳴いて鳴いて早上がりは、勿論戦法として優れているとは思いますが、なによりも楽しみたいじゃない!笑 で、数ある役のなかでも、僕はダントツで三色が良いです。なんて言ったって、見栄えが美しい。それに尽きます。いつの日か、三色マスタと呼ばれる日を夢見て、だから今日も僕は三色を狙うのです。もちろん、ゲーセンでね笑